境内案内
信貴山全景マップ
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本堂 | 大般若祈祷が毎日行なわれている本堂は、文禄年中(1592)豊臣秀吉により再建、または慶長7年(1602)秀頼の再建とする説があり、定かではありません。後に修復を加え、延享3年(1746)に完成しました。舞台造りとなっており、そこからは大和平野が一望でき、素晴らしい眺めとなっています。 | |
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戒壇巡り | 覚鑁上人が約800年の昔、当山において唯一納めたという如意宝珠がお祀りされています。本堂階下の暗闇の中を進んでいただき仏像にお祈りし、次に進んだところの錠前に触れてください。心願成就のご利益が大変あらたかです。是非ご入壇ください。 | |
毘沙門天王 | 毘沙門天王は七福神のなかでも、商売繁盛、金運如意、開運招福、心願成就の徳を最も厚く授けてくださる福の神です。信貴山毘沙門天王の、ご尊体に鎧兜を召されておられるのは、世の中のあらゆる、邪魔者を退散してやるというお姿で、見るからに恐ろしそうな尊顔は、心を強く持って、どんな苦しい困難に出会っても、がまん強い精神で何事も行なえということを教えておられるのです。また、右手に如意宝珠の棒を持っておられるのは、心ある者には、金銭財宝を意のままに授けて、商売繁盛させてやるぞとの思し召し、左手の宝塔は、この中に充満する福を、信ずる者の願いに任せて与えてやるとの福徳の御印です。【御真言】毘沙門天王:オン・ベイ・シラマンダヤ・ソワカ | |
霊宝館 | 国宝「信貴山縁起絵巻」、平群町指定文化財「菊水の旌旗」ほか、当山の宝物を展示しております。是非ご拝観ください。 | |
経蔵堂 | 当山の経蔵堂は、中央に回転できる経厨子があり、中に仏教のあらゆる法門の経典を集めた「一切経」を納めてあります。その経厨子は、一回転させる毎に「一切経」をすべて読誦したのと同じ功徳があると言われています。皆様も、家内安全、身体健全、商売繁盛などの諸願成就を念じ、経厨子を右廻りに回してその功徳を授かって頂くことをお勧めいたします。また四面の壁面上部の彫刻は、印度から中国、日本への仏教の伝来の様子が説明してあり、一見の価値があります。※現在、経蔵堂内部への参拝はできません(再開未定)。 | |
水屋 | 空鉢様(空鉢護法堂)に水を御供の方は、備え付けのポットに入れてこの水を空鉢護法堂までお持ちください。 | |
虚空蔵堂 (入試合格祈願) |
虚空蔵菩薩を安置しています。虚空蔵菩薩は弘法大師・空海が青年時代に修行された「虚空蔵求聞持法」の本尊で宇宙全体に満ちている仏様の無量無尽の知恵や功徳を蔵する菩薩です。特に「入試合格」「学業成就」に霊験顕たかな菩薩です。【御真言】虚空蔵菩薩:ノウボウ・アキャシャ・ギャラバヤ・オンアリキャ・マリボリ・ソワカ | |
鐘楼堂 | 建物は一丈四方に袴腰が付いています。貞享4年(1687)再建されました。梵鐘銘に信貴四郎とあります。南部遠明の家臣・田部井十郎が鋳造して奉納したとのことです。 | |
多宝塔 | 祭壇に大日如来が祀られています。坐像丈三尺、説に恵心僧都作とすることから、古くは天台宗との関わりがうかがえます。元禄2年(1689)に建立、明治15年(1882)に修復しました。【御真言】大日如来:オン・アビラ・ウンケン・バザラ・ダトバン | |
行者堂 | 修験道の開祖とされる役行者ゆかりの霊場です。神変大菩薩は役行者の尊称として使われています。 | |
星祭り本尊 | 空鉢護法堂の近くに八体の像が安置されています。 | |
信貴山城跡 | 標高437mの信貴山雄嶽を中心とする山城で、奈良県下最大規模を有する中世城郭です。空堀の切り通し堀、土塁、門等の城郭跡が良く残り、特に高櫓跡は著名で、中世末、織豊期直前の山城跡として保存状況の極めて良好な例で貴重な遺跡です。天正5年(1577)、松永久秀が織田信長に背き、大軍の総攻撃を受け50日間篭城、10月10日に落城。その後、廃城となりました。 | |
空鉢護法堂 (一願成就) |
命蓮上人が竜王の教えを蒙り、信貴山縁起絵巻(飛倉の巻)の如く、空鉢を飛ばして倉を飛び返らせ、驚き嘆く長者に慈悲の心を諭して福徳を授けたという出来事に由来します。山頂に竜王の祠を建てて以来、多くの参詣者から、「一願成就」の霊験あらたかな守護神として信仰されております。山道は険しいものの、途中に信貴城址と行者の篭堂、星祭り本尊があり、また、空鉢護法堂(空鉢堂)からの眺めはたいへん素晴らしいものです。 | |
千体地蔵 | 仁王門の近くに色鮮やかな前掛けをつけた千体地蔵が安置されています。 | |
仁王門 | 信貴山の山門である仁王門です。宝暦10年(1760)に大阪宝栄講が再建、明治14年(1881)に大修理、大正11年(1922)に成福院鈴木恵照師の代にこの場所に移転されました。 | |
猪上神社 | 仁王門から本堂へ向かう、参道の右側に鎮座しています。明治維新の神仏分離令により、大正11年(1992)現地に遷座しました。天足彦命・国押人命(説に天照大神)が祀られています。また、『阿婆縛抄』にも「命蓮上人が猪の助けをかりて再建した」と記されているように、信貴山の総鎮守として、延喜式内に列した古社でもあります。 | |
信貴山観光iセンター | 信貴山観光情報の発信基地として平成21年末にオープンいたしました。売店や喫茶・軽食コーナーも併設されています。 | |
白虎 | 白虎とは、中国の伝説上の神獣で、東西南北の守護のうち西方を守護する神獣です。細長い体の白い虎の形をしていて、また四神の中では最も高齢の存在であるとも言われています(逆に最も若いという説もあります)。遷都1300年祭で信貴山が白虎の位置づけとされました。 | |
開運橋 | 開運橋は全長106mの剛性橋です。三郷町側の親柱には「昭和六年十二月竣工」と刻まれています。「上路カンチレバー橋」という形式で、開運橋がその形式としては現存する日本最古の橋になります。また鉄骨を組み合わせた「トレッスル橋脚」であることも珍しく、平成19年7月に国の登録有形文化財に選定されました。 | |
絵馬堂 (納経所) |
安政年間(1854~)大阪堂島の木綿屋梅蔵が寄進したものです。現在は休憩所として利用されています。建物の半分は正月に納経所として利用されます。 | |
大寅 | 信貴山をそのインパクトで知らしめることになった「世界一福寅」です。その巨大な張り子の寅は、記念写真のポイントとしても喜ばれています。 | |
赤門 | 寛政5年(1793)7月に再建いたしました。平成21年5月に塗り替えられ、美しい姿を現しています。 | |
剱鎧護法堂 (病気平癒) |
今から約1000年前、醍醐天皇が重い病にかかられた時、命蓮上人が勅命により毘沙門天王に病気平癒の祈願をされました。数日後、加持満願の日、剱鎧護法の使者が天皇の枕元に出現されて、霊感を授けられると忽ち天皇の病は癒され心安らかになられました。そこで、この地に剱鎧護法を当病平癒の守り本尊として、祀られ日夜勤行されました。以来、無病息災、病気全快の霊験あらたかな神として篤く信仰されています。 | |
聖徳太子像 | 日本を代表する彫刻家、北村西望作の馬に乗る聖徳太子像です。またこの近くには、日本最初多聞天出現霊地の石碑があります。 | |
かやの木稲荷 | 樹齢1500年の榧の木です。蘇我一族と物部一族が政治の実権を握るため争っていた大和朝廷の時代に、一粒の榧の実が萌芽して以来、有為転変する世相を鳥瞰してきた御神木です。この御神木を敬い稲荷社を建立しました。 | |
本坊 | 桁行十一間、梁行三間。安政年間(1854~)大阪堂島の木綿屋梅蔵が寄進したものです。平成9年(1997)に改修しました。隣接して護摩堂があります。建物入口には、張り子の寅が置かれています。また、傍らには、信貴山真華流の花塚があります。信貴山真華流は、昭和26年に創流。この花塚は創流30周年に建立されたものです。 | |
宝寿橋 | 本坊から成福院へ行く手前にある橋です。橋の下には池があり、たくさんの金魚が泳ぎ、夏にはホタルが放たれます。 | |
弁天堂 | 本坊に隣接し、弁財天が祀られているお堂です。 | |
千手院 | 信貴山の宿坊として親しまれている塔頭「千手院」。銭亀堂、護摩の毘沙門天王、子安観音等が祀られています。商売繁盛・家内安全の護摩の毘沙門さんとして親しまれ、あがめられています。 千手院案内ページはこちら |
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十三塔 | 日本では、平安時代に十三仏信仰が興り、それに伴う十三重塔の建立が盛んになりました。供養塔のひとつです。 | |
成福院 | 信貴山の宿坊として親しまれている塔頭「成福院」。如意融通尊、鎮宅霊符神、寅大師、三福神堂等が祀られています。融通殿にお祀りしております融通さまは福徳・開運・金運・良縁等々すべてのことを叶えてくださいます。 成福院案内ページはこちら |
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三宝荒神堂 | 中尊に悪魔をこらしめる為にこわい顔をして、人々を守る明王「不動明王」を安置。右にすべての人々を救う西方極楽浄土の仏様「阿弥陀如来」、左に仏教の守護神かまどの神様「三宝荒神」を祀っております。殊に三宝荒神は、火難水難除けの台所の神様「三宝(さんぼう)さん」として親しまれお祀りされています。【御真言】不動明王:ノウマク・サンマンダ・バザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン 阿弥陀如来:オン・アミリタ・テイゼイ・カラウン 三宝荒神:オン・ケンバヤケンバヤ・ソワカ | |
飛倉館 | 信貴山縁起絵巻にもある、飛倉の名がつけられた信貴山の宝庫です。現在は催事場として信貴山真華流の行事等が行われることもございます。 | |
玉蔵院 | 信貴山の宿坊として親しまれている塔頭「玉蔵院」。浴油堂、玉蔵院融通堂、三重塔阿閦如来、日本一大地蔵等が祀られています。その他、約250人までの宿泊ができる玉蔵院富貴閣や、茶室古厘庵があります。 玉蔵院案内ページはこちら |
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弁財天の滝 | 滝行場として使われていた信貴山唯一の滝で、傍らには不動明王が祀られています。 | |
開山堂 | 享保17年(1722)建立。願主は河内国本堂村教心坊(盲人)他2名。信貴山開祖 聖徳太子、宗祖 弘法大師、中興開山 命蓮上人 歓算上人、四国八十八ヶ所ご本尊さまをお祀りしているお堂です。八十八カ所各寺のお砂も敷いております。お砂踏みめぐりをされ、心洗われる仏縁のひとときをお過ごしください。開山堂の厄除ローソクは、白:息災(除災招福・当病平癒・交通安全等)、黄:増益(開運招福・学業成就・商売繁盛等)、白+黄で「開運厄除け」になります。 | |
命蓮塚 | 延喜の頃に信貴山を中興した高僧、命蓮上人の墓と伝えられる塚です。塚上には十三仏が祀られ、周囲にも室町末頃の一石一尊十三仏板碑が多数樹立されています。命蓮上人については、当山の国宝「信貴山縁起絵巻」に描かれています。平群町文化財にも指定されています。 | |
奥之院 | 聖徳太子が守屋討伐の時、毘沙門天王が阪部大臣に化現して先鋒を振われ、御尊像が汗をかかれていたと伝えられております。よって当山は聖徳太子開基の信貴山奥之院、毘沙門天出現最初の地とされ、ご本尊は「汗かきの毘沙門天王」と呼ばれ、御霊験きわめてあらたかです。また境内地より「焼き米」が出土する霊地でもあります。信心堅固にして仁慈を行ひ毘沙門天王に帰依してこの焼米を頂く者は如何なる病も立所に除き福寿増長にして実の賓米を得られるという、誠にありがたい御賓米であります。 信貴山 奥之院Webサイトはこちら |
御真言とは呪文のようなもので、古代インドのマントラの訳語です。サンスクリット(梵語)を音写したもので、語句の多いものを陀羅尼(だらに)、少ないものを真言、1文字か2文字のものを種子と呼びます。声に出して唱えましょう。
その他の御真言
釈迦如来:ノウマク・サンマンダ・ボダナン・バク
弘法大師:ナムダイシ・ヘンジョウ・コンゴウ
弁財天:オン・ソラソバテイ・エイ・ソワカ
十一面観音:オン・マカ・キャロニキャ・ソワカ
阿閦如来:オン・アキシュビヤ・ウン
如意宝珠:オン・アラ・タンノウ・サンバンバ・タラク
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- 信貴山 朝護孫子寺
電話 : 0745-72-2277 - メールでのお問い合わせは
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- お願い
- 信貴山内では常に美化に努めております。各自のゴミは必ずお持ち帰りください。
喫煙は灰皿のある場所のみでお願いいたします。
犬猫等ペットを連れての参拝はお断りいたします。